Lens Impression
1950年代に巻き起こった国産レンジファインダー用標準レンズの大口径化競争。それは1953年(昭和28年)のにZunow(ズノー)50mmF1.1(ピンポン)から始まり、翌1954年にはフジノン5cmf1.2が発売、同じ年にヘキサノン60mmf1.2が発表され、2年後の1956年にはNIKONから50mmf1.1が発売されるという驚異的なスピードで大手メーカーを巻き込んでいきました。レンズ構成はNIKONは変形ガウスタイプですが、それ以外はゾナータイプもしくは、折衷型を採用しています。
こうした大口径化の動きの背景には1951年(昭和26年)から始まった日本光学工業・富士写真フィルム・小原光学硝子製造所・千代田光学精工(ミノルタ)・小西六写真工業5社による新種ガラスの共同工業化試験プロジェクトがあるでしょう。小西六の三木旺は、写真工業1955年2月号のヘキサノン60mmf1.2の解説記事において、この共同研究の貴重な成果の寄与について触れています。
この共同研究は日本メーカーの大口径レンズの設計技術を大きく前進させましたが、一方で、研究期間の短さ故か一部新種ガラスに経年変化とともにクモリが発生する現象が発生しました。このクモリによるダメージは販売個数の多さから当時のキヤノン(セレナー)レンズが良く知られてますが、ズノー5cmf1.1(初期ピンポンの一部、後期改良型の多く)にも発生しますし、ヘキサノン60mmf1.2も例外ではありませんでした。
この競争は1960年に入りキヤノンが50mmf0.95を出したことと、各社が一眼レフに目を向け始めたことによって終止符が打たれますが、その後も「ライカで使う大口径レンズ」の要望がなくなることはありませんでした。
1960年代から90年代にかけては一眼レフの絶頂期でしたので、市場に残っていたのは本家ライツ社のNoctiluxノクチルックスだけという状態が長く続きましたが、1973年にライツとミノルタの提携によるライカCL、ライツミノルタCLが登場し、さらにAEを備えたミノルタCLEの発売により、使いやすいレンジファインダー機の再認識が進みました。コニカは当初レンズ固定式のヘキサーを販売していましたが、1999年満を持してヘキサーRFというライカマウント互換のレンズ交換式レンジファインダーカメラを新規に発売しました。また、同年ヘキサノン
60mmf1.2が藤沢商会(2014年閉店)の企画によって復刻生産され、800本が限定販売され、久々の大口径レンズが復活しました。
このM-ヘキサノン50mmf1.2は、21世紀を迎えた2001年に限定モデルとして2001本が生産され販売されたもので、同社では初めての50mmという焦点距離でのf1.2です。極めて薄い被写界深度ですので、ペアであるヘキサーRF本体の距離計との整合性にかなり力を入れて作られたと言われています。
レンズ構成は6群7枚の変形ダブルガウス型で、絞り開放から極めて高いコントラストが得られており、それはデジタルカメラの背面液晶を見るだけでもはっきりわかります。ダブルガウス型の特徴である歪曲収差、倍率色収差、像面湾曲が良好に補正されていますが、この形の欠点とされる画面周辺部のサジタルコマ収差(フレア)については絞りを挟んだ2つの凹曲面の曲率を浅くして大幅に改善しています。その場合に発生する球面収差の増大については、凸レンズすべてに高屈折率の新しいガラスを使うことで解決するという、まさに近代レンズならではの手法で、むしろ古典的ともいえるレンジファインダー用大口径レンズを実現しました。
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